京都のじいちゃんが死んだ
はいさい!リュウヘイです。
いやぁ。すいません卒業式やら引っ越しやらでバタバタしておりました。
昨日奄美に帰ってきました。
今は奄美大島の実家から更新しています。
そして久々に学生時代のエピソード文章を書くんやけど、
京都のじいちゃんが死んだという話をチョイスするっていうね(笑)
これは大学院1年生終わりごろのお話しですなぁ。
2016年2月25日、京都のじいちゃんが死んだ。
僕の出身地は奄美大島だが、母は京都の人間である。
昔おやじが若かった頃に京都に来て働いてたんやけど、
その時に母親と出会って結婚して奄美に拉致してきた。
よって、京都にじいちゃんとばあちゃんが取り残されていた。
老夫婦2人がケンカしながらも仲良く住んでたんやけど、
無くなる三日前くらいに母親から電話があり、
「じいさんが急に倒れて危篤状態やけどあんた来るか!?」
との連絡があった。
僕はその頃、水産庁のとあるデータを分析しておったので
「行かれへんわぁ」
とこたえた。
別にじいさんの死に目に会えなかったところでなんとも思わない。
死に目を観るのが怖かったのかもしれない。
僕は何でみんなが最後に会いたがるのか理解できない。
悲しいに決まってるやん。
死んだってことを見なければさ、
その人は僕の心の中ではずっと生き続けるやんね。
ってここまで書いたところで、
「あんた髪の毛いい加減に切ってこんかい!」
と母親に怒られたので散髪に行ってきます。
25歳になっても親からすると子どもは子どものままのようです。
※僕は男にしては珍しくマザコンではない。
最後に京都のじいちゃんが飼っていたが、面倒見れなくなって奄美で引き取った愛犬シロの写真をあげておこう。
不思議なことに京都のじいさんが死んだ直後にシロも老衰で死んだ。
きっと一緒に連れて行ったんやろなぁ。
わしはじいさんとは遊びまくったし、酒も一杯飲んだし、全然後悔はないぜよ。
音楽付け忘れとったわ。
京都ということで、くるりにしようか。
くるりで「魔法のじゅうたん」どうぞ♪