おじいおばあwithアメリカ!!
はいさーい!社員寮2階からこんばんわ、リュウヘイです。
前置きの今日の日記が読むのに1分くらいかかるので、
そんなのどうでもいいからアメリカの話が読みたい。
という人はスキップしてくださいな。
2018年5月20日(日)志賀島の中西食堂へ
昨日は更新できず寝てしまい、せっかく一週間ぐらい続けた連続更新記録が途絶えてしまいました。悲しいです。
本日、午前中は地域運動会に同期と参加、午後からは福岡県の志賀島っていうところにバイクソロツーリングしてきました(道路で行ける)。
中西食堂っていうお店の
「曙丼」っていうサザエたっぷりの海鮮丼を食してきました。
とっても美味しかった~
サザエのコリコリとした食感がたまらんよかったです。
昔ながらの食堂の小さめの店内には、
お客さんがいっぱいいて待ち時間が30分くらいあったんだけど、
「お待たせしてしまいすいませんでしたね~」と丁寧な対応。
味も接客も満点でした。また行きたいです。
さてさて本題に入りますか。
本日は奄美の祖父母をアメリカに連れて行った話。
なぜ、祖父母とともにアメリカへ?
2017年の正月に奄美大島に帰った際に、
じいちゃんがふと
「死ぬ前にもう一回タエねぇ(姉)に会いたいや~」
と言いだした。
まだまだ元気なのに。
するとばあちゃんが電話帳を持ってきて、
「ここに電話番号あるからリュウヘイ電話かけてみなさい!あんた英語分かるだろ!?タエおばはアメリカにいる期間が長すぎて英語のほうが得意だからね!」
という無茶ぶりをしてきた。
プルルルル...
私「もしもし!リュウヘイです!」
タエおば(おんとし83歳)「あ~、リュウヘイね~。あげ~なんの用事かい?タエおばは耳が悪いから娘に代わるね~」
タエおばの娘「Hi, Ryuhei!! I know you are my cousin's son! What happened?」
私「I wanna go to America with my grandparents!」
タエおばの娘「Good!! Please search my account on Facebook!!」
と言われてFacebookでアカウントを探しそこからやり取りすることに。
このブログを以前から読んでくれている方はご存知かと思うが、
私の研究室にスリランカからの留学生チャミタさんが来てくれたので、
日本語の話せなかった彼から英語を教わっていたので良かった。
タエおばの娘とやりとりして2017年の10月末に行くことになった。
じいちゃんばあちゃんと東京で合流
じいちゃんばあちゃんは奄美大島に住んでいる。
ということで、羽田空港から飛ぶために東京で合流した。
そうそう、国際線といえば成田空港なイメージがあるけど、
最近は東京オリンピックに向けてか羽田からも国際便を増やしているらしい。
無事に合流して、搭乗手続きも終了。
あとは座っておいて、たまにじいちゃんのお手洗いに行きたいタイミングを確認して『トイレだいじょうぶか?』と声をかけて機内でトイレに連れて行くだけだ。
長時間のフライトで僕は映画を観た。
気に入った映画を何回も観る性癖があるので、
一発目に見て気に入った
「ベイビー・ドライバー」をヘビロテして観ていた。
隣ではじいちゃんがアクション系の映画を、
12時間、一睡もすることなくガン見していたのが面白かった。
そして乗り換えのサンフランシスコに到着。
ここで事件が起こる。
ばあちゃんが失踪。
サンフランシスコの空港で次の目的地であるシンシナティ―への乗り継ぎがあった。
じいちゃんの足が悪いので広い空港内を歩いて移動すると間に合わない。
車椅子を空港の人にお願いした。
しかし、車椅子係の人が全然来てくれない。
搭乗15分前くらいになってやっと車椅子がきた。
このままでは間に合わないと思って、
ばぁちゃん先に走って!
21番搭乗口行っといて!
と叫んだ私が馬鹿だった。
急いで先に行ったばあちゃんを見失い、
21番搭乗口にじいちゃんと僕が着いたら居なかった。
ばぁちゃんは携帯も持っていない。
そして飛行機への到着時間が刻一刻と近づいてくる。
ばあちゃん失踪により、
飛行機乗り継ぎ失敗した。
普通は焦ったり、イラついたりするだろうが、
この時のじいちゃんの対応が素晴らしかった。
そんな時もあるよや~(笑)
とニコニコしているのである。
そんなじいちゃんのおかげで私も落ち着きを取り戻し...
どうなったのかはまた次回!
本日のミュージック
BABY DRIVERの挿入歌でもある「テキーラ」どうぞ♪
いやぁ、もうマジカッコええわ。